自分が自分であること~「ホームスクーリング」は誰にでもできる選択

これからのマナビ

今月から学校が始まったところも多いですよね。

でも、学校が始まっても、始まらなくても、そんなに大きく変わらないな、と思っている人もいると思います。先日、九州ホームスクーリングネットのメンバーとオンラインブランチ(オンライン上の対話の会)をやったときにも、そんな話が出ました。

人生の主人公は自分であって、主導権は自分にあるということ。周りで何が起きていても、自分が自分であること、自分がどうしたいかに集中していれば、そんなに大きく揺れることはないな、と思っています。

話を学校のことに戻します。

そもそも「学校」って、行ってもいいし、行かなくてもいい。そして、行かないという選択を、誰がやってもOKだし、制度的にもOK。そもそも「義務教育」とは、学校に行く義務ではなくて、国や保護者(大人)の側に子どもに合った教育を保障する義務がある、ということなので。教育の場は、学校もあれば、それ以外の場もあるということです。

要するに、選択肢はいろいろある。地元の学校に行くことも、別の学校や学びの場を探して行くことも、誰かと一緒に学びの場を作ることも。そして、「ホームスクーリング」という選択も、その中の1つ。もし、今いる場所で行きたい学校がないとしても・・・ホームスクーリングなら、今すぐ誰にでも選択できます。

そう、やろうと思えば誰でもできる、ということを知っていること。ここ、重要だと思います。

何がいいかじゃなくて、どうしたいか。そして、子ども自身がどうしたいか・・・という声を大人がどう聴くことができるか。

そして、ホームスクーリングは、家で親が何でもやるというものでもありません。家というベースから、今の自分に必要なことにアクセスできるということ。自分のまわりのものすべて、ある意味地球全体が学びの場なので、ホームスクーリングの醍醐味はそこだと思います。

学びとは、自分以外の誰かが決めたこと(あるいは誰か他の人が喜ぶこと)をこなすことではありません。誰かが一生懸命準備してくれたものであっても、自分にとって必要なものとは限らない・・・そういうこともあると思います。

ちなみに、うちの娘(現在、高校生)も、小学校高学年から中学校までの間、ホームスクーリングを選択してました。私立のオルタナティブスクールに通った時期と、ホームスクーリングの時期がありますが、結局、公立の学校には通いませんでした(在籍だけしたことはあります)。

そのおかげで見えてきたこともいろいろあります。

また、ホームスクーリングには、学校や学びの場を利用しながら「ホームスクーリング」というあり方で、というのもあると思います。自分にベースがあってそこから自分のやりたいことにアクセスしている、という状態も、ホームスクーリングの1つの形じゃないかと思うからです。学校も、アクセスしてるものの中の1つ。実際、そんな生き方をしている子どもたちも知っています。

さて、今、なぜこんなことを書いてるかというと、ホームスクーリングという選択は、誰にでもできるということを、もっといろんな人に知って欲しいし、実際に、世界中で多くの人たちがホームスクーリングで学んでいるし、そして、私たち大人が、このことを知ってるかどうか、このことが意識にあるかどうかで、大きく変わってくるような気がしているからです。なぜなら、大人が知らないと、子どもは選ぶことができないことが多いから。

この続きは、どこかで対話してみたいテーマの1つでもあります。

■九州在住で、ホームスクーリングや多様な学びの選択肢に興味ある人、選択を考えている人に、「九州ホームスクーリングネット」というメーリングリストがあります。答えは1つじゃないけれど、一緒に考えるきっかけが欲しいという方にはおススメかも。参加希望の方がいましたら、リクエストください。詳細はこちら

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