我慢をすると、その次も我慢する現実になる?

瞬間瞬間に、ふと感じたことを話してみると

九州ホームスクーリングネットで、時々、オンラインでお話会をしています。
とくにテーマは決めず、誰かが今ふと浮かんだこと・ふと話したくなったことを、ただ話し・ただ聴く。そこから話がひろがったりつながったり・・・という感じです。

前回は、こんな感じでした。

ただ聴く・ただ話すというのをしていると、その瞬間に、何かがひらめいたり、何かが変化するのを感じることがあります。

「今」という瞬間にしかないもの。その瞬間の、その人にしかわからないもの。それを出してみると、1人1人違うから、面白いなあ~と思います。

なぜ人は、やりたくないことをやるのか?

先日のお話会の中で、ふと思ったことがありました。

「なぜ人は、やりたくないことをやろうとするんだろう?」

これが、親子だったり、大人と子どもの関係だったら、「なぜ、やりたくないことを“やらせよう”とするんだろう」。

自分の中ではやりたいとは思っていないのに、それをやる方がいいこと・正しいことだと思っていることだったり。
あるいは、自分以外の誰かに、これでいいのかどうかの判断をしてもらおうとしていたり。

自分自身を振り返ってみても、思い当たることがあります。

そうしているうちに、そもそも、やりたいのかやりたくないのか、自分はどうしたかったのか、わからなくなることがあります。

変えられるのはその瞬間から

でも、そもそも、やりたいのかやりたくないのか。
もしかしたら、なにかを我慢してるのか?そうだとしたら、選択を変えられるのは、自分しかいない。

我慢をすると、我慢の回路が開く、と聞いたことがあります。
意識しないまま我慢を続けていると、その次も我慢しないといけない現実を作ってしまう・・・これって、ほんとにある気がします。

あ、今我慢してるな、と気付いたときに、その瞬間から目の前の現実を変えられることって、たしかにあると思います。

でも、大人は、今までこうだったから、と、なかなか変えられないこともあるかも。
その瞬間にすぐに現実を変えるのは、子どもの方が上手いのかもしれません。子どもは枠を壊すのが上手いと感じること、よくあります。

書くよりも、目の前の誰かと話す方が得意かな

ところで、あんなことこんなこと、その瞬間にひらめく言葉がいくつもあります。
書いておこうと思いながら、なかなか書く方が追いつかないですが、一番コトバがひらめく瞬間は、目の前の誰かと話しているときだな、と思います。

誰かと会って、その瞬間のやりとりから生まれてくるものを楽しみたい。リアルであっても、オンラインであっても。

でも、書くことも、自分のペースで続けてみます。


★「九州ホームスクーリングネット」に参加ご希望の方は、お問い合わせフォームからご連絡いただくか、または、Facebookのグループから参加リクエストください

コメント

タイトルとURLをコピーしました