『世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語』 という本があります。
1968年に創設された最初のデモクラティックスクール、アメリカのサドベリーバレースクール について紹介した本です。
以前、さっと目を通しただけだったので、もう一度読んでみようと思い、手にとってみました。その中で、興味を引いた箇所がありました。
「現代の子どもたちは、いつでもどこでも、自分が望むとき、自分のイニシアチブで、自分の住む小さな世界を超えて、世界中の人びとを観察できるということです」
「かつては地元の村で行われていたことを、グローバルな規模で、「地球村」の中で行おうというものなのです」
「サドベリーバレーの子どもたちは、カリキュラム設計者が重要であると決めた、一握りの学科ではなく、関心のあるすべての物事にアクセスしています」
これを読みながら、自分が中学生くらいの頃に感じていたことを思い出しました。
今いる場所が自分の居場所じゃないような、ここにいてはいけないような、居心地のよくない感覚。だからといって、どこへ行っていいのかわからない。
と同時に、自分はもっと広い世界に出ていけるはずだ、という感覚も感じていました。今、目に見えている世界がすべてじゃなくて、もっと違う世界があるはずだ、という感覚。それを見つけ出せるのは自分にしかできない、という感覚。
きっと、その感覚があったから、自分は大丈夫、と思えたんだと思います。
自分に必要なものは、自分が見つけることができるということ。それは、世界中に、様々な形で存在しているということ。
大人の中にも、子どもの中にも、そんな感覚があるんじゃないかな、と思っています。
※2010~2017年に書いた前のブログから抜粋して、加筆修正したものを、投稿しています。
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